東京地方裁判所 昭和61年(ワ)3130号 判決 1988年3月31日
原告
森田キン
被告
梶浦夏哉
ほか一名
主文
一 被告梶浦夏哉は、原告に対し一八三六万五一七一円及びこれに対する昭和五八年六月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告梶浦夏哉に対するその余の請求及び被告梶浦正に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告と被告梶浦夏哉との間に生じたものはこれを一〇分し、その一を原告の、その余を同被告の各負担とし、原告と被告梶浦正との間に生じたものは原告の負担とする。
四 この判決は一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告に対し二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五八年六月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
昭和五八年六月四日午後四時ころ、神奈川県横浜市戸塚区長沼町八一八先道路(以下「本件道路」という)を走行中の被告梶浦夏哉(以下「被告夏哉」という)運転の原動機付自転車(以下「加害車」という)が折から同道路を横断中の原告に衝突し、転倒した原告が頭部を打つなどして受傷した(以下「本件事故」という)。
2 責任原因
被告夏哉は加害車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)三条により、原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。
また、被告梶浦正(以下「被告正」という)は被告夏哉の親権者父であつて、同被告と同居してこれを扶養し、加害車の購入費、維持費を負担するなどしており、加害車の運行供用者というべきであるから、同じく自賠法三条により原告の損害を賠償すべき責任がある。
3 被害の内容・程度と治療経過
原告は、本件事故により頭部外傷(左側頭葉挫傷性血腫、左側頭骨骨折)、右腸骨骨折の傷害を負い、その治療のため昭和五八年六月四日から同月五日まで林外科病院、同日から同年八月三日まで国立横浜病院(脳神経外科)に入院し、同月一〇日から昭和五九年四月四日まで同病院に通院したが完治せず、同年三月二八日見当識傷害、健忘等の精神障害を残して症状が固定した。右後遺障害の程度は自賠法施行令二条別表掲記の後遺障害等級(以下「後遺障害等級」という)二級三号に該当する旨の認定を受けている。
4 損害
一 治療関係費 二九五万九三三五円
1 昭和五八年六月四日から昭和五九年三月二八日までの分七〇万四五一五円(ただし自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という)により填補ずみである)
2 昭和五九年四月以降薬代として毎月最低一万二〇〇〇円以上を要し、昭和六三年三月までの四八か月分で合計五七万六〇〇〇円に達している。
3 昭和六三年四月以降の右薬代は、右時点の原告の年齢六九歳(女子)には平均余命一五年が見込まれるから、中間利息控除につきホフマン方式によりその現価を算定すると、次式のとおり一五八万一一二〇円となる。
(一万二〇〇〇円×一二)×一〇・九八=一五八万一一二〇円
4 看護料 六四〇〇円
5 入院雑費 七万二〇〇〇円
一日一二〇〇円として六〇日分の合計
6 通院費 一万八六〇〇円
7 文書料 七〇〇円
二 入通院慰謝料 二〇〇万円
入院二か月、通院八か月及び原告の重い症状にかんがみ二〇〇万円が相当である。
三 逸失利益 一一八五万三八九二円
原告は前記後遺障害のため一〇〇パーセント労働能力を喪失した。そこで、六五歳の女子家事従事者である原告につき、昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者全年齢平均賃金額を基礎にして、就労可能年数を六年として、中間利息控除につき新ホフマン方式により症状固定時の逸失利益の現価を算定すると、次式のとおり一一八五万三八九二円となる。
二三〇万八九〇〇円×五・一三四=一一八五万三八九二円
四 付添費用 二三〇〇万〇四七五円
原告は前記後遺障害のため、洗顔、食事、排便・排尿など日常生活の諸事一切を自力で行うことができない。そのため、原告の三女である訴外森田保子(以下「保子」という)が勤務先の会社を退職し、常時付添介護に当たつている。
右付添に要する費用は、六五歳の女性の平均余命が一八・七一年であるから、一日当たりの付添費を5000円とし、新ホフマン方式により算定すると次式のとおり二三〇〇円〇四七五円となる。
5000円×365日×12・603=2300万0475円
五 後遺障害慰藉料 二〇〇〇万円
前記後遺障害の内容、程度に徴し二〇〇〇万円が相当である。
5 前記一ないし五の原告の損害合計額は五九八一万三六八四円となり、この内原告は自賠責保険(傷害分八八万五〇〇〇円、後遺障害分一七七六万円)及び被告ら(五六万六九〇〇円)から合計一九二一万一九〇〇円を受領し、填補を受けたので、残存損害額は四〇六〇万一七八四円となるところ、本訴においては被告ら各自に対しその一部である二〇〇〇万円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年六月四日から支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 被告らの認否
1 請求原因1は認める。
2 同2一は認め、二は被告梶浦正(以下「被告正」という)が同夏哉の親権者父であつたことは認めるが、その余は否認する。
3 同3は不知
4 同4の一(治療関係費)は認め、その余は不知ないし争う。
5 同5は、填補額を認め(ただし自賠責保険の傷害分は一二〇万円である)、本訴請求は争う。
三 抗弁
1 過失相殺
被告夏哉は、時速三五キロメートルで進行中前方に本件道路を横断中の原告を認め、右横断に差し支えないように減速徐行して進行したが、原告の横断速度が同被告の予想を越えて遅かつたため危険を感じて急制動の措置を採つたが間に合わず、原告に衝突したものである。
原告は、近くに横断歩道があるにもかかわらずこれを利用せず、また右横断の際うつ向いたまま左右の安全を確認せず、更に危険回避のためできる限り急いで横断すべきであるのに極めてゆつくりと横断した等の過失があり、これが本件事故発生の一因となつていることは明らかである。したがつて、損害算定に当たつては相当の過失相殺がされるべきである。
2 損害の填補
請求原因に対する認否で述べたように、原告の損害は自賠責保険傷害分一二〇万円、後遺障害分一七七六万円及び被告正が同夏哉のために支払つた五六万六九〇〇円の合計一九五二万六九〇〇円の限度で填補されているものである。
四 抗弁に対する認否
1 過失相殺の主張は争う。本件道路は幅員約五・六メートルの狭い道路である上、原告の横断地点の二〇メートル以内には横断歩道はない。のみならず、被告夏哉は約二〇メートル手前で老婦人である原告の横断を認めているのである。本件は係る状況下での事故であり、挙げて原告の重大な過失に起因するものというべきであるから過失相殺の適用の予知などあり得ないというべきである。
2 自賠責保険傷害分一二〇万円のうち原告が受領したのは八八万五〇〇〇円であつて、三一万五〇〇〇円は被告夏哉に支給されている。
第三証拠
証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求の原因1(事故の発生)は当事者間に争いがない。
二 同2の前段(被告夏哉の責任原因)は当事者間に争いがないから、同被告は本件事故により原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。
そこで、被告正の責任について判断するのに、成立に争いのない甲五号証、被告梶浦夏哉本人尋問の結果によれば、被告夏哉は昭和三八年七月一七日生まれで本件事故当時一か月と一〇日余りで満二〇歳を迎える満一九歳の高校生(通信制の日本放送協会高等学園在学)であつたこと、右高校には一六歳のころからアルバイトをしながら通学しており毎月一ないし二万円を食事代として家に入れ、一七歳ころ自費で加害車を購入し、そのガソリン代、維持費のすべてを自らのアルバイト収入でまかなつていたこと、本件事故は右アルバイト先から自宅(被告正と同居)へ帰る途中に発生したものであることの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右事実によれば、加害車は被告夏哉が所有し、専ら同被告が自己の負担でこれを管理し、使用していたものと認められ、また、被告正が同夏哉の親権者であることは当事者間に争いがないところであるが、同夏哉の年齢及びある程度自活状態にあつたことが窺われること等の事情に徴すると、同正が加害車の運行について同夏哉を現実に支配、監督していたか、又は支配、監督すべき具体的事情の窺われない本件においては、同正が加害車について運行支配、運行利益を有していたとは認められないというべきである。
すると、被告正に対し自賠法三条の責任を問う原告の主張は、その余について判断するまでもなく理由がなく失当といわなければならない。
三 次に、原告の受傷の内容・程度について判断する。
本件事故の態様に成立に争いのない甲一八号証、弁論の全趣旨により成立を認める甲一一ないし一四号証(原本の存在とも)、一七号証、証人森田保子の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故により頭部外傷(左側頭葉挫傷性血腫、左側頭骨骨折)、右腸骨骨折等の傷害を負い、請求原因3のとおり入院(五九日)、通院(症状固定日直前の昭和五九年四月四日までの一〇か月間に二三日)して治療を受けたが、強度の見当識障害、健忘等の精神障害を残し、回復の見込みのないまま同年三月二八日症状が固定した(右障害の程度は後遺障害等級二級に該当する旨認定されている)こと、原告の右障害は脳の左側頭葉に損傷を受けているためであり、具体的には聴覚系などの各種感覚系の機能障害、言語障害、記憶障害、情動性格障害等として現れ、痴呆状態を呈しており、食事、排泄ないし排尿等の日常生活に必要な諸事一切が自力で行うことが不可能であり、随時介護を要する状態である(なお原告は昭和六一年一二月一二日に禁治産宣告を受けている)こと、将来にわたり、症状の悪化を防ぐためのほか、常時頭痛、耳鳴、眩暈、不眠、運動麻痺などの諸症状を訴えているために投薬治療を必要とすること等の諸事実が認められ、被告梶浦夏哉本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
四 進んで損害について判断する。
1 治療関係費 二九五万九三三五円
治療関係費に関する請求原因4一の事実は当事者間に争いがない。
2 付添看護費用 一五一五万四二一六円
前記後遺障害の内容・程度に徴すると、原告は将来にわたり随時付添介護を必要とすることが明らかというべきところ、症状固定時における右に要する費用相当の損害現価を算定すれば、右障害の内容・程度、原告の娘(保子)が右介護に当たること等に照らして一日四〇〇〇円、要介護期間を昭和五九年簡易生命表による六五歳女子の平均余命を参考に一五年とし、中間利息の控除につきライプニツツ方式の採用を相当と認めると、次式のとおり一五一五万四二一六円となる。
四〇〇〇円×三六五日×一〇・三七九六=一五一五万四二一六円
3 逸失利益 三四六万三五二〇円
前記認定事実に成立に争いのない甲一九号証、証人森田保子の証言及び弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故当時満六四歳の女性で無職のため収入といえるものはなく、既に夫と死別し、会社勤めの娘保子及び息子訴外森田忠男と同居し、主として忠雄の収入で生計を立て、原告が家事を担当するという生活形態であつたこと、原告は本件事故により労働能力を一〇〇パーセント喪失したこと、保子は本件事故当時勤務先の電気会社から自宅待機を命じられていたところ、本件事故のため退職を余儀なくされ、原告の付添介護及び家事に専念し今日に至つていることの各事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
右事実によれば、本件事故当時における原告の立場は家事従事者ということになるが、いわゆる専業主婦とはその実態においてかなりの乖離があることを認めざるを得ず、その家事労働に対する経済的評価は係る具体的事情を踏まえて行うのが事柄の実態に即し、合理的というべきである。
そこで、原告は本件事故に遭遇しなければなお症状固定時から五年間右家事労働に見合う収入を得られたものと認めることとし、昭和五九年賃金センサスによる女子労働者の平均賃金を参考に、前記原告の生活実態を考慮して年収八〇万円を基礎収入とするのを相当と認め、中間利息控除につきライプニツツ方式を採用して右の間の逸失利益を算定すれば、次式のとおり三四六万三五二〇円となる。
八〇万円×四・三二九四=三四六万三五二〇円
4 慰藉料 一六〇〇万円
本件事故の態様(後記過失相殺に対する説示のとおり)、受傷の内容・程度、入通院の経過、後遺障害の内容・程度、保子ら子供らに予期せぬ重大な負担をかけるに至つたこと、本件審理の経緯(被告夏哉は任意保険の締約を怠つていたため、資力のないことを理由として本件紛争の早期解決が得られなかつたものである)その他本件審理に顕れて一切の事情を考慮し、本件事故により原告が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は一六〇〇万円と認めるのが相当である。
5 過失相殺
前掲甲五号証に成立に争いのない同二ないし四号証、六号証、八号証、本件道路の状況を撮影した写真であることに争いのない同一五号証の一ないし一四、被告梶浦夏哉本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件道路は笠間交差点方面から戸塚方面に向かつて一〇〇分の四の勾配で下る、センターラインにより片側各一車線に区分された幅員約五・六メートルのアスフアルト舗装道路であること、本件事故当時は対向車両も含めて加害車の前後には走行車両はなく、直線状の本件道路は極めて見通しの良い状態にあつたこと、本件道路は最高速度が三〇キロメートルに指定され、戸塚駅方面に向つて右側にのみ歩道が設けられ、ガードパイプで車道と遮断されており、原告の横断地点は右ガードパイプの切目となつていたこと、原告は笠間交差点方面にある店で買物をした後、右歩道を戸塚駅方面に向かつて進み、右ガードパイプの切目地点のちようど向い側に流入する交差道路を通つて帰宅すべく横断を始めたこと(なお右横断地点の五〇メートル以内には横断歩道はなかつた)こと、横断に際して原告は左右の安全をよく確認していなかつたこと、他方、被告夏哉は戸塚駅方面に向けて時速約三五キロメートルで進行していたところ、前方約二〇メートル余りの地点に原告がうつ向き加減で横断するのを認めたが、原告において自車の接近に気付き急いで横断してくれるものとの勝手な思い込みの下に、原告の動静に対する注視を怠り、わずかに減速したのみで警音機を吹鳴するでもなく、漫然と進行を続けた挙句直近数メートルに至つてなお横断し終わつていない原告に気付き、慌てて急制動措置を採つたが間に合わず、衝突するに至つたことの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によれば、本件事故は被告夏哉の運転者としての極めて基本的な注意義務違反によつて発生したものといわざるを得ず、その責任は重大といわなければならない。他方、原告においても左右の安全確認を怠つた落度がないとはいえず、これが本件事故の一因となつているともいえるが、いわゆる飛び出しとは認め難く、前記道路及び交通の状況の下で同被告の過失と対比するとき、これをもつて過失相殺事由とまですることは相当とは認め難く、前記慰藉料算定の事情として斟酌するにとどめる。
6 損害の填補
原告の損害総額は三七五七万七〇七一円となるところ、この内一九二一万一九〇〇円の限度で填補を受けていることは当事者間に争いがないから、原告の残存損害額は一八三六万五一七一円となる。なお、被告らは自賠責保険傷害分一二〇万円全額が右填補に充てられるべきである旨主張するが、弁論の全趣旨により成立を認める甲二〇号証によれば、右の内三一万五〇〇〇円は原告主張のとおり被告夏哉に支払われていることが認められるから、被告らの右主張は理由がなく採用できない。
五 よつて、原告の本訴請求は、被告夏哉に対し一八三六万五一七一円及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年六月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容するが、同被告に対するその余の請求及び被告正に対する請求は理由がないから失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 藤村啓)